『殺人犯はそこにいる』
2014年01月11日
読みました。
これは知っています。
「足利事件」
「菅家さん」
先日(といっても、もう3年も前になるんですね。。)、
DNA型再鑑定が行われたことをきっかけに、再審無罪が確定し、
冤罪による17年半におよぶ服役の末、菅家さんが釈放された、
あの元になった事件です。
でも、その事件が、
実は連続して周辺に起こった5件の幼女誘拐殺人事件のひとつに過ぎず、
(菅家さんが逮捕されていたことで)逮捕されず時効を迎えた真犯人は、今も潜んでいること、
そして、菅家さんの誤認逮捕がなぜ起こり、そしてどのように無実が証明されたかなど、
新聞やテレビだけでは触れることのなかった、そのより深い深い部分について、
知ることが出来ました。
夢中になって読みました。
いろいろなことを、考えさせられます。
自らの過ちを認めることの難しさ。
真の目的を、つい誤りがちなこと。
警察とマスコミとの関係。
(それは、昨日の川崎での逃走においても感じます。果たしてあそこまで捜査員を動員し、また報道するべき事件だったのでしょうか?)
考えさせられるということは、
私にとって、良い本なのだと思います。
以下、
本書における具体例の一つではあるのですが、
筆者の記述に大変共感した部分があり、
その部分を引用し、紹介させていただきます。
◆ ◆
報道とは何なのか。
例えば、親が幼い子供を車に残して買い物などに行き、車内で子供が熱中症で亡くなる。
そんな悲しい事故が毎年繰り返される。定型文とも言えるニュースが流れる。
〈××署は保護責任者遺棄致死の疑いで、母親である○○を逮捕し、△日送検しました〉
そんな報道を目にして、あなたはどう思うだろう。「馬鹿な親だ」と思うだろうか。
あるいは、「私はそんな愚かなことをしない」と笑うだろうか。
しかし、このニュースの問題点はどこだろう。報じるべきなのは警察による広報文なのだろうか。
事件を担当する警察署の名称や罪状、送検予定なのだろうか。
あなたがスーパーに行くとする。後部座席ではいつの間にか子供がぐっすりと寝入っている。
起こすのもかわいそうだと思う。
エアコンはセットされている。すぐに戻るからねとそっと車を離れるが、あいにく店は混んでおり、買い物は思ったようなスピードで進まない。
目を覚ました子供は、あなたの姿を捜し、泣きながら車内を移動する。
外に出ようとあちこち触り、やがてエアコンのスイッチを切ったり、エンジンキーそのものを廻してしまう。
そして車内温度は春先でも五〇度を超える……。
報じるべきことは、こういった事実なのではないのか。
原因はなんだったのか。同様の事故を二度と起こさぬためにはどうすべきか。
それを報じるべきなのではないか。
(引用、ここまで。赤字部分は私が色づけしています)
◆ ◆
子どものためを思って、
その結果として、このような事故が起こってしまうんですね。。。
タグ :本