流星会まつり!
2010年04月30日
4月29日は「流星会の日」でもある。
ちなみに、ご存知ない方のために、
「流星会」とは、2000(平成12)年に私が創設した、お気楽剣道チームである。
早いもので11年目を迎え、
今年も例年通り、国府「だるま」さんにて、
「流星会まつり」という名の宴会を行った。
仕事やいろいろな都合もあり、今回は12名の参加。
連絡を取り、出られないと知ると、多少ヘコむのだが、
(とはいえ、2日前くらいに連絡を回した私も、良くないのだが。。)
それでも40歳に近い私から、高校を卒業しさほど年月の経ってない者まで、
(剣道チームでありながら)
剣道を続けている者から、しばらく竹刀を握ったことのない者まで、
地元にいる者から、お昼に東京を発ってきた者、そして明日にデトロイトへ発つ者まで、
本当によく分からない1年に1回の集いである(笑)
でも、よく分からなくても、
年に1度、皆で集まることが大事なのだ。
皆で共有した、近況と「流星会への希望」。
その希望を実現していけるように、
また皆で動いていきたいね!!!
それでは今年も最後に、パチリ☆
今日のファイトさん【まっちゃん】
2010年04月29日
確かに私がMVPをいただいたけれど、
昨夜最も頑張ったのは、
タイガーマニアの皆さんはご存知、この人。

~牛久保のまっちゃん~
ついにダウン。。

ここで、お義兄さんがタクシーで迎えに来てくれました。
祝日の今日も変わらず仕事だった、まっちゃん。
間違いなくあなたが今日のファイトさんです(笑)
お疲れさま。また飲もーね。

~ムスッ(笑)~
MVP
2010年04月29日
昨夜は、お祭り・大山の反省会-。
反省会と言う名の、宴会である(笑)
仕事の関係で少し遅れて到着。
今思えば、私を待っていてくださったのだろう。
着くやいなや、
会に参加した大山の皆さんで、事前に投票をした結果発表が行われ、
驚いたことに、
今年のMVPは、
私だった。
~動画はイメージです~
その後、ビールをいっぱい勧められたのは、言うまでもない(笑)
それにしても、こんな感覚は久しぶりで、
とても嬉しかったのです。。
お祭りはもう終わったのに、お祭りみたいな楽しい夜でした。


~ありがとうございました!!~
アンパンよし
2010年04月28日

今日は少しドタバタしている。
でもそのような状態にいることが、
とてもありがたいと思う。
昼食を取れずに、
いま、
豊橋駅で名鉄線に乗り込む時に、
キヨスクで洋風堂のあんぱんを手にした。
この昔ながらの100円のあんぱんが、
私は好きである。
今日のファイトさん【父さん】
2010年04月27日
忘れた頃にやってくる、
久しぶりのこのコーナー。
(マニアには人気です。笑)
今日は。。

昨日72歳の誕生日を迎えた、父です。
(身内ネタで、すみません)

父さん、体調には気をつけて、
これからも元気でね。
お誕生日、おめでとうございます☆
学生歌
2010年04月26日
「日本の新しき朝の光は、
二つなき真理のもとに明け放れたり
人類のたぐいなき知を愛するものよ
今こそ固くかひな組みて
澎湃(ほうはい)と寄する東海の
うしほの如く
高らかに 高らかに
我等が愛知大学の名を讃へよ」
(『愛知大学学生歌』上尾耿輔 作詞・山田昌弘 作曲)


ウェステージ豊橋で行われた、愛知大学同窓会豊橋支部の定期総会懇親会の最後に、
参加者の皆で学生歌を歌うことになったとき、
歌詞を手にせずに歌えるかどうか、不安だった。
なにしろ、もう15年以上経っているのだ。
それでも、いざ歌い始めると、
次から次へと歌詞が出てくるのには、
自分でもびっくりした。
所属していた体育会剣道部で、
この学生歌を覚えるテストがあったこと。
(ソラで歌えるまで、先輩のところへ行ったこと)
そして事あるごとに、
皆で肩を組み、学生歌を歌ったこと。
歌詞とともに、頭に浮かんできた。




【おまけ】
同窓会において、新たな役割を務めていくことになりました。

こういう社会的役割を果たしながら、
仕事や家庭を大切に、
私は生きていくのだと思っています。
タグ :思い出
ブログ繋がり
2010年04月25日


夜。
野入りーさん、
かねごんさんと、
豊橋市内某所で待ち合わせ。
きっかけは、コレ。

意見も考え方も違う3人が、
それを踏まえて、ニーチェを語る。
後腐れなく、さっと別れる。
私は、こういうブログ繋がりが、また好きである。
カラダマネジメント
2010年04月24日
若い頃の体型が保てなくなってきた。
トレーニングする時間がない。
運動が習慣化できない。
(ここまで、はじめにより抜粋)
殊に最近危機感を持っている私は、
お先に読み始めています。

『カラダマネジメント術!』 (本田直之 著、マガジンハウス)
地図よし
2010年04月23日
相変わらず読んでいる虚構新聞から、新しいニュースが飛び込んできた。
「原寸大世界地図が完成 国土地理院」
それはまた、相変わらずくだらなくておもしろかったのだが(笑)
その記事を読んで、ふと「地図」のことを考えた。
私は、意外と地図好きである。
グーグルマップの時代になっても、
昔ながらのアナログな地図には、とても愛着を感じる。
例えば、昨年新聞の折込を見て購入したユーキャンの「日本大地図」。
普段の生活では全く使わないが(笑)
ふと本棚から引っ張り出して見ると、これがたまらない。

~東京全図~

かつて住んでいた浅草を探したり、

~テーマパーク~
何気にディズニーランドやUSJと並んで載っている、
愛知の誇る「明治村」に喜んだりしている。
それにしても、上の鳥瞰図は、スゴイでしょ~!!!
そして、何より私が好きなのが、
帝国書院「新選詳図」帝国之部-

表紙を開くと、そこには、
昭和9(1934)年の日本が。。

~日本の行政区割~

~満州国と関東州、右は南洋諸島~
愛知の誇る「明治村」に喜んだりしている。
それにしても、上の鳥瞰図は、スゴイでしょ~!!!
そして、何より私が好きなのが、
帝国書院「新選詳図」帝国之部-

表紙を開くと、そこには、
昭和9(1934)年の日本が。。

~日本の行政区割~

~満州国と関東州、右は南洋諸島~

~日本海時代~
それでは、今夜は、
当時の東京から満州までの旅を、
お楽しみください。
(動画)
続きを読む
めぞん一刻
2010年04月22日
なんとなく車の中で、ピカソを聞きたくなった。
私が高校2年生の頃(古っ!)、広島・倉敷への修学旅行の際に、
カセットテープにダビングして持っていったグループである。
代表曲ともいえる『シ・ネ・マ』や『ファンタジー』は、
当時のテレビアニメとして放映されていた『めぞん一刻』で、使われていた。
『めぞん一刻』で思い出した。
もう1年以上前になるが、
この『めぞん一刻』で描かれた舞台が、西武池袋線の東久留米駅周辺であることを知り、
私はその街を歩いたことがあった。
結局、ブログには書かずじまいだったのだが。

~東久留米駅(北口)~

今はもう、この駅舎は取り壊されているのだと思います。

~くぐるなあぶない~


~スナック茶々丸~

私が、折りに触れてこうして好きな映画などのロケ地にいくのは、
きっと作者の想いと、
その作品の世界を、
どこか共有したいからなのだろう。
歴史上の地も、
それは同じもののような気がする。
【おまけ】
・その時に参考としたサイトです。
http://rentier.sunnyday.jp/tokeizaka.html
鉄骨娘
2010年04月20日
最近、サントリー『鉄骨飲料』が、
リニューアルされて、コンビニに置かれている。
『鉄骨飲料』って、バブルの頃だよね。。
(動画)
~鷲尾いさ子です~
しばらく気になっていて、飲んでみた!!

~「特保」になってます。時代です(笑)~
懐かしい、この味。
こんなグレープフルーツ味だった。
確かに、薄くなっているような気もするし、
変わらない気もする。
でもおいしい。飲みやすい。
ということで、
たなぼた3位
2010年04月19日
応援ありがとうございました!!

~ジャーン!!~
でも実は、今回ばかりは、あまり大きな声では言えない3位だったのです。。
以下、詳細。
私たち「流星会」チームからは、
A(比較的Adalt)・B(比較的Boy)の2チームが出場。
一本勝負であり、男女が入り混じって出場できるという、特徴のある大会である。
私はAチームで出場をしたが、
チームが出来た時点で、既にどこか満足をしていた。

先鋒:伊藤(妻)
次鋒:辻(妻)
中堅:伊藤(他人)
副将:辻(夫)
大将:伊藤(夫=私)
ポーカーなら、結構勝てる手である。
中堅:伊藤(他人)
副将:辻(夫)
大将:伊藤(夫=私)
ポーカーなら、結構勝てる手である。
さて、
一般の部は、15チームがエントリー。

そして、受付を済ませ、試合会場に入ると、
ここでもうひとつのミラクルが待っていた。。。

そして、受付を済ませ、試合会場に入ると、
ここでもうひとつのミラクルが待っていた。。。

~不戦勝です~
はい、3位決定!!!

びっくりしました。
そして、私たちの初戦(=準決勝)は、
身体が充分に温まった強豪・豊和会との勝負となり、
結局私たちはひとりも勝つことなく、敗れ去ったのでした。
何も充実感もない、3位。。
(やっぱりこういうのは、苦しみながら勝ち得たものでないと、ダメですね)
こんな経験、初めてのこと。
まぁ、ちゃんとメンバーをそろえたことと、
長いこと続けているその「ご褒美」だととらえ、
次の試合に向けて、またきちんと稽古をしていきたいと思います(笑)
【おまけ】
・本家「たなぼた」といえば、コチラです。
立ち喰いそばを食べながら
2010年04月17日
先日の夜、豊橋駅から電車で帰宅した際に、
駅構内の壺屋が食べたくなった。
旧豊橋駅の頃は、飯田線や名鉄と同じ1階にあった、壺屋である。

高校生の頃、部活の試合の帰りなどで豊橋駅に来たときには、
よくここで立ち喰いそばを食べ、
それから飯田線に乗った。
当時の私は、立ち喰いそばを食べるという行為に、大人らしさを感じていたのだと思う。
そして、そこで大人を見ていた。
どこか疲れていて、
少しよれたスーツを着て、
そばをすすり、酒に酔い。。
家庭というものを持ち、歳を重ね、
私もこういう大人になるのかなぁなんて、
なんとなく思い、憧れた。
あれから20年が経ち、
こうして壺屋のそばを食べながら、
あの頃思い描いてた大人に、私はなれているだろうか、
そんなことを考えた。
それ以上だったとも言えるし、たいして変わらなかったとも言える。
そもそも、どのような大人になるかきちんと考えてなかったと、言うこともできる。
間違いなく言えるのは、
あの時は、出来なかった「天ぷら」を、
今はそばの上に堂々と乗せて、食べているということである。。

ここは、私にとっては、
高校生の頃の自分に立ち返ることの出来る、
今となっては数少ない場所なのである。

うっかりタイガー
2010年04月16日

車を走らせていて、
ふと、こんなことを考えた。
「今までに、一番うっかりしたことってなんだろう??」
こんなことを考えるのが、また春なのだともいえる(笑)
思い浮かんだのは。。
車に乗っていて、
ダイドーブレンドコーヒーを買って、
プルタブを自分で開けたのに、それを忘れて、缶を振ってしまったこと!!!!!
仕事に向かう真っ白なワイシャツに、茶色のコーヒーが飛び散ったことは、
言うまでもない。
そしてあの時ほど、自分自身をイヤに思ったこともない。。
以来私は、必ず缶が開いているか確認してから、振るようにしている。

春、
みなさんには、どんな「うっかり」の思い出がありますか???
(ちょっと無茶振りな企画です。笑)
タグ :うっかりタイガー
豊栄らーめん
2010年04月15日
私が二日続けて「食べ物ネタ」というのも実は珍しいのだが、
書かずにはいられないので、書かせていただく(笑)
豊橋駅前、精文館本店隣の「豊栄らーめん」である。
お昼時に広小路を歩いていて、ふと頭に浮かび、
その瞬間、目的地とは逆方向だったのにもかかわらず、
お店に向かって歩き始めていた。
私が好きなのは、「みそラーメン」(600円)である。

麺は普通やや太めで、コシが効いている。
そして、ここの味噌は、
あまり飾りっ気のない味噌のような気がするのだが、
それがまた癖になって忘れられない味である。
昔から食べている味である。
そして私は、半分ほど食べたところで「自家製味菜」を入れ。。

もうひとつの味を楽しむのである。
それにしても、この「豊栄らーめん」しかり、
これからもブログで書いていくだろうが、
いろいろなラーメン屋さんがあり、
そのそれぞれが、
麺と具とスープと、みんな違ってみんないい。
まるで金子みすゞである。

続きを読む
ぺろり特大盛
2010年04月14日
牛丼の吉野家から、
ご飯は大盛、肉はなんと大盛の2倍!という「特大盛(とくだいもり)」発売のニュースを聞き、
「また吉野家も、そんなの作っちゃって~」と思うつつ、
行ってきてしまいました(笑)
「『特大盛』をお願いします」とお店で注文した時の周りの雰囲気と、
来るまで待っている間は、
とにかくドキドキしました。

~どどどーん!!! 心なしか玉子が小さく見えます~
基本的に、私は「並」と「半熟玉子」なので、
いつもはあまり食べることの出来ないそのままの牛肉と、
そして玉子をからめた牛肉を、
思う存分味わうことが出来ました。
モー満足で、脳も溶ろけちゃいそうです(笑)
いちどぐらいは、チャレンジしてみてもいいかもしれません。

~ごちそうさまでした~
キャッチャー木村拓也
2010年04月13日
皆さんの知るところではあるが、
巨人の一軍内野守備走塁コーチの木村拓也さんが、
試合前の練習中にノッカーを務めている際に突然倒れ、
意識を取り戻すことなく、亡くなられた。
そのニュースは、衝撃的だった。
私は巨人ファンで、
『ズムサタ(ズームイン!!サタデ―)』を好んで見ていたので、
木村拓也さんの奥さんや子どもたちとのかけ合いも知っていたし、
引退挨拶の最後の最後に、家族に向かって、
「今まで支えてくれて本当にありがとう。パパは、頑張ったよ!」
と話したことも知っていたので、
木村さんだけでなく、残された家族の皆さんの気持ちも考えると、
何とも言えない気持ちになった。

37歳といえば、学年でいうと私の1コ下である。
誰がこんな結末を考えていただろう。
この世において、
そういうことが起こり得るのだと考えると、
いまこうして生きているということが実は奇跡なのだと、
思えてくる。
日々を感謝して生きていきたいものだと、
思えてくる。
選手時代の木村さんは、
私の中では、
意外なところで仕事もするし、ボーンヘッドもするイメージが強いが、
それでも、夜遅く一宮に向かった車の中のラジオで、
ドキドキしながら聞いたあのシーンは、
とても印象深く残っている。
(動画)
~2009年9月4日対ヤクルト戦(東京ドーム)~
巨人は良いチームになったと感じた瞬間だった。
あの時に聞くことが出来て、良かった。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
タグ :野球
お祭りを終えて
2010年04月12日
お祭りは楽しい。
でも私にとってそれは、ただ楽しいというだけではなく、
役割を果たした喜びのようなものがある。
そしてお祭りを終えた今、
気が抜けたのか、体調を崩している自分がいる。。
それでは例年通り、お祭りの振り返り。
まず私自身のこと、
大山に乗らせていただいて、4年目。
とはいえ、きちんと約2週間の練習に参加できたのは、
今年が初めてであった。
そして、その練習を通して、
大山の一員として、
少し認めていただけたような感覚があった。
それは素直に嬉しかった。
本番においても、
稚児の足を持つこと、
笛を吹くこと、
お酒を飲むこと(笑)
自分のやるべきことを、とりあえずは最後までやり切ることが出来た。
もちろん、まだまだなのは分かってる。
だから来年は、それぞれの質を上げつつ、役割を積極的に増やしていきたい。
そして自分ならではの強みを活かして、
もっと自分の出来ることを提案していきたいと思う。
逆に唯一悔いが残るとすれば、
同級生「さわやかイレブン」の宴会で、ダウンだったことである。。
次に、お祭り全般を通して、
感じたのは、
「継承」ということである。
いろいろなところで、世代が移り変わっていくのを見た。
大山の稚児も、昨年から3人中2人のメンバーが入れ替わり、
青年においては、私が青年を抜けたばかりの頃に青年に加わった子が「へた落ち」(=青年最終年で抜けていく者)であったり、
またかつて囃子車の稚児だった子(小学生)が、今度はお手伝いとして青年に参加している姿を見たり、
あぁ、こうして牛久保のお祭り(うなごうじ祭)が継承されていくんだということを、
今年はとても強く感じた。
お祭りにおいては、伝統に基づいた決まりごとがある。
その全ては明文化されていない。
そして、そこから外れ好き勝手することは、許されない。
基本的には年代の上の者が、下の者に決まりごとを教え、
「例年通り」、
その決まりごとに従って行っていくことで、
お祭りが継承され、
そして牛久保人としての共同体を作り上げていくのだと、
そう感じた。
【ブログをご覧になっていただいている皆さまへ】
本年も無事祭礼が終了いたしました。
直接、牛久保にお越しいただいた方々、
コメントで、あるいはライブ中継の視聴を通じて、
応援してくださった皆さん、
ブログで取り上げてくださった方、
応援してくださった皆さん、
ブログで取り上げてくださった方、
本当にありがとうございました。
そして改めて。。
大山の皆さん、青年のみんな、
お祭りに関わる牛久保の全ての皆さま、
大山の皆さん、青年のみんな、
お祭りに関わる牛久保の全ての皆さま、
お疲れさまでした。
おめでとうございました。

~結局、今年は1枚も写真を撮りませんでした(3年前の物です)~
【おまけ】
近年の振り返り
・2009(平成21)年
・2008(平成20)年
・2007(平成19)年
・2006(平成18)年
【おまけのおまけ】
お祭りに関する身内の記事です(笑)
・リアルクール店長さん
・IGリフォームアドバイザー中島さん
・吾古屋コーヒーだっくんさん

~結局、今年は1枚も写真を撮りませんでした(3年前の物です)~
【おまけ】
近年の振り返り
・2009(平成21)年
・2008(平成20)年
・2007(平成19)年
・2006(平成18)年
【おまけのおまけ】
お祭りに関する身内の記事です(笑)
・リアルクール店長さん
・IGリフォームアドバイザー中島さん
・吾古屋コーヒーだっくんさん
LIVE?
2010年04月10日
牛久保「うなごうじ祭」の現場からのライブ配信に、チャレンジしています。
Free TV Show from Ustream
~まずはクリックしてみてください!~
わたし目線で、時折、何かが流れます(笑)
ライブ配信していない際は、録画をお楽しみください。。

【おまけ】
ライブ配信に関して、パソコンサポートクリタさんよりアドヴァイスをいただきました。
ありがとうございます。
「うなごうじ」とは?
2010年04月09日

先ほど牛久保の街を通ったら、
お幟がいくつか立っていた。

おそらく今朝6時という早い時間に、青年や町内役員の方が集まり一緒になって、
立てたのだと思う。
いよいよ明日からお祭りが始まるんだと、
街はそんな雰囲気に溢れていた。
私たち牛久保のお祭りは、「うなごうじ祭」(正しくは若葉祭)という。
どのようなお祭りなのかを、簡単に紹介しておきたい。
◆「うなごうじ祭」とは
4月7・8日に近い土・日曜日に行われる牛久保八幡社の例大祭。
中心となるのは、八幡社と天王社間を行き来する行列である。
(土曜日の宵祭に、天王社にある獅子頭を八幡社に迎え、
日曜日の本祭において、その獅子頭の天王社への送りと、八幡社にある神輿の渡御・還御が行われる)
その行列に、八幡社氏子である上四町(上若組)・下中町(西若組)・裏町(神児組)・寺町(笹若組)が参加する。
行列は、江戸・明治・大正・昭和 そして平成と続いてきた歴史を感じさせる。
各町(各組)は、それぞれの特色を持っている。
名にある「うなごうじ」とは、「うじ(虫)」のことであり、
行列の最後尾を受け持つ寺町の笹踊りの一隊の中にいる「やんよう神」が、囃しながらところかまわず寝ころがる様子から、
その名が付いたと言われる。
牧野古白をはじめ歴代の牛久保城主は、領民をことのほか大切にし、
時に、領民の苦労をねぎらうため、城内に召し、酒食をふるまい、
領民たちは、その酒に深酔いし、まっすぐ歩けず、ごろごろころがりながら助け合って帰ったということである。
その時の喜びを神事に盛りこみ、善政を忘れない領民のこころを今に伝えているとされている。
~牛久保八幡社~
◆見どころ
行列そのもの、ダシ(馬簾)持ち、囃子車、笹踊りなどなど、
見るものには間違いなく事欠かないが、
初めての方に私がお勧めするのは、この3つである。
・やんよう神

前述の通り。
「うなごうじ」の名前の由来であることもあり、おそらく人気ナンバー1である(笑)
行列の最後尾に存在する。
ちなみに、やんよう神は、一度転ぶと自分から立ち上がってはいけないことになっている。
(そのため、ちゃんと起こす係が決まっている)
それは晴れの日でも雨の日でも同じであることから、
天気によって、あるいはギャラリーの皆さんの多さによって、
若干テンションが違うように感じる、
とても人間くさい「神」さまである(笑)
・かくれ太鼓

~写真は、大山です~
八幡社前に並ぶ上四町・下中町の大山にて、
主に行列が八幡社に入るときに行う、稚児舞および囃子である。
(詳しくは今までのブログで書いてきた通りである)
人形のようで、人形でない。
上四町と下中町のものの違いを、是非感じてほしい。
ちなみに、私もこっそりとここにいます(笑)
・神事『三ッ車』
お祭りのクライマックス。
本祭りの日曜夜20:30頃、八幡社前にて。
各町内のダシ持ちが、最後の力を振り絞って、行う。
牛久保がひとつになる瞬間だと思う。
ここでのことは、言葉にできない。
どうぞご覧になってください。
それでは明日からは、牛久保でお会いしましょう。。
以上、タイガーうなよしでした。
ちがい
2010年04月08日
今夜は、自らの練習を途中で抜けさせてもらって、
上四町の大山の練習に向かった。
昨日の自分の町内(下中町)と同様、撮影をさせていただくためである。

上四町の大山の皆さんの練習は、
今川義元の胴塚で知られる大聖寺内で行われている。

交流があるとはいえ、私自身は初めて足を踏み入れる練習の場。
まるで高校時代、他校に出向く練習試合みたいに、
ドキドキした。
そして、
カメラを向けさせていただいた。
(ありがたいことである)
昨日の下中町のものと、ベースは同じなのだと思う。
しかし、昨日のコメントにyotakaさんが書かれていたように、
その上でのお囃子の違い、稚児の舞の違いに気づいたとき、
撮影をしながら、ひとり、とても興奮した!!!!!
ブログをご覧の皆さんは、両者を見てどんな風に感じられるだろうか??
そして、いま練習をしているものが(練習風景として皆さんが見ているものが)
お祭り本番に、実際にこれが大山の上で行われた時に、どうなるか。。
それこそ、ぜひ八幡社の前で味わっていただきたいと思っている。
それにしても、
上四町の大山もすごい。お祭りってすごいと、
思わざるを得ない一瞬だった。
上四町の大山の皆さん、
撮影をさせていただき、そしてこのような形で紹介させていただき、本当にありがとうございました。
お祭り本番も、よろしくお願いいたします。