まずはひと山
2007年12月31日
初めての携帯からの書き込みです。
うまくいくかしら?
仕事を終え、品川から新幹線に乗り、
いま豊川に向かっています。
高1・高2の国語の冬期講習も、昨日から始まった高3日本史の正月特訓も、
まずはここまでなんとかやりきったよ!!!
これで、年越し。
あとは豊橋駅を寝過ごさないように、気をつけたいと思います(笑)
もう一度限界突破を
2007年12月16日
~正岡橋にて。豊川放水路の向こうが豊橋~
2007年も残すところあと僅か。
しかし、仕事においてもプライベートにおいても、
もう一度自らの限界を超えなければならないときが来たようだ。
まずは大晦日の夜に、それらをやり終えて牛久保に帰れるように 、
自分自身に負けず頑張っていく。
~遠くに小坂井高校が見える~
ドンキーにて
2007年12月16日
久しぶりにびっくりドンキーでハンバーグを食べた。
やっぱり「レギュラーバーグD(ディッシュ)150g」と「とん汁」。
このビーフ&ポークのハンバーグと、Dならではのソースとライスの絡みがたまらない。
かつては毎日食べていた味でもある(笑)
食べている最中に、突然かけているメガネが落ちてしまった。
~言ってたのは大村崑さんです(笑)~
事故
2007年12月14日
仕事を終え地下鉄に乗ろうと銀座線渋谷駅に着くと、何か騒々しい。
掲示板にインフォメーションが流れていた。
「浅草まで行けないんだ~。じゃあ、どうしたら帰れるだろう。」
少し混乱する周りとはうらはらに、私は意外なほど冷静だった。
別に「いざとなったら歩いて帰ればいいじゃん」という最後の余裕があるからかもしれない。
それにしても、東京は本当に「人身事故」が多い。
誰も口にしないが、この「人身事故」が何を指しているのかを考えると、何とも言えない気持ちになる。
でもそれは特別なことではなく、紙一重なのだと思う。
だから自分自身をきちんと守らなければいけないし、他者を追い込み過ぎないようにしなければならない。
でも当事者は、自分が追い込み過ぎているという状態に気付かないのだ(→だから追い込み過ぎるのだ)
それゆえ他者との関係においては、より自分を客観視して意識して気をつけていかねばならないのだ。
その後半蔵門線で清澄白河まで出て、そこから久しぶりのタクシーで浅草に戻りました。
~「音羽蒲郡」みたいなネーミングです~
きのう、きょう、あした。
2007年12月13日
仕事を終え、浅草に戻り、自動販売機でダイドーブレンドコーヒーを買った。
マンションのエレベーターの前で気がついた。
肝心の缶コーヒーを取り忘れた…。
~ヘィ!!!~
(いそいで取りにいきました)
ぺろり築地
2007年12月12日
今までなかなか書かなかったが、
月に1度は築地にある東京都中央卸売市場(築地市場)へ行っている。
この日も築地クラブ(会員3名、みな元同僚。笑)の面々と、早朝の築地へ。
私はここでのひと時が大好きである。
~すごい活気!! ぼやぼやしてると、ひかれるよ~
【大江戸】
築地といえば、やはり「海鮮丼!!!」
いつものお店で、
うに・いくら・ねぎとろというオールスターばりの海の幸を、
醤油をひたした大根おろしをかけて、いただきました。
うぅ~ん、シ・ア・ワ・セ。
ちなみに店内は、撮影禁止です。
【センリ軒】
その後は食後のホットコーヒー、「センリ軒」。
白い角砂糖がグラスにむき出しに入れてあるようなカフェです。
いま流行りのALWAYS風?
いいえ、間違いなく本物です!!(笑)
【吉野家】
築地市場の場内には、皆に知られている店もあります。
でも知られていないことも多いです。
吉野家の歴史は、魚市場とともにここから始まりました。
あの狂牛病の際も、唯一「牛丼」を食べることが出来た特別なお店です。
【香り】
場外に出て角を曲がると、鰹節をけずった香りがしてきました。
このにおいをブログで届けれないのが残念…。
築地には、本当にいろいろな食という食が集まっています。
まさに江戸の台所といったところでしょうか。
【松露】
最後にデザート代わりの「玉子焼き」。
今日はテリー伊藤さんの実家である「丸武」ではなく、「松露」の玉子焼をいただきました。
しかも久しぶりのゴチバトルで!!
拙者 、ごっつぁん!!!
今日も気を許す仲間と、築地の味と雰囲気を満喫することが出来ました。
さぁ、それではいまから、頑張っていくかね~!!!
『世界の中心で、愛をさけぶ』
2007年12月10日
早朝、何気なく見たつくばエクスプレスの情報紙「サワワ」で、
こんな小さな広告を見つけました。
少し迷ったけれど映画を見て多くのことを感じたくて、
今日はリスケをしMOVIXへ直行!!
「わざわざ行かなくても、DVDを借りて見ればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、
やっぱり劇場で見るのは全然違うのですよ~!
音楽をCDで聞くのとライブハウスへ行くのと同じなのだと思います、きっと。
そして映画を見ながらや見終わった後で、いろいろなことを考えました。
この映画でやはり印象深いのは、高校生の頃の回想シーンです。
例えば「うぁ~っ!」て叫びながら、堤防を駆けていく。
あの頃は当たり前であったこと。
でも今はもう私はあんなに軽くは走れませんし、普段の生活の中では大声を出すことも出来ません…。
良い意味で歳を重ね、当時より多くの視点を持っていても、
でもあの頃の貪欲でがむしゃらで全力だった姿勢は、絶対に忘れてはならないのだと思います。
(それを思い出したくて今日この映画を見たのだし、たまに母校にも顔を出す理由も同じことなのだと思います )
ふと、私が初めて塾講師になったばかりの頃のことも思い出しました。
あの頃は、1回1回の授業が私の全てで、それに一喜一憂していた。
サンヨネの駐車場で、「俺はこれからどれだけ授業がうまくなれるか」を真剣に考えていた。
「授業」への想いの度合いということだけを考えると、もしかしたらあの頃の自分に今の私はかなわないのかもしれない…。
そして、この映画を以前に見たのは、もう2年も前のことになります。
今田の結婚式の際に、乗っていたネイキッドの中で、大学の仲間らとDVDで。
(ちなみにロケが行われた香川県の庵治町で、映画に出てくる堤防もブランコも見てきました)
あの時語りあったみんなは、今は元気でやっているだろうか??
なんてこと。
映画の中に、次のようなセリフがあります。
「残された者に出来ることは、後片付けだけだ」
意味合いは少し違うけれど、私も今までの少し整理整頓をして、
また新たな気持ちで明日からの授業を全力で頑張っていきたいと思います。
~憧れだったウォークマン~
為せば成る
2007年12月09日
帰宅すると、TSUTAYA DISCASから新たなDVDが届いていた。
お店に寄る必要がなくまた店頭にはないレアなものも借りることが出来るので、
届くと結構嬉しかったりする。
で、今回の2枚は…
『その時歴史が動いた~信長、執念の天下統一』
『その時歴史が動いた~上杉鷹山、ふたたびの財政改革』
…
別にそのままテレビで見ればいいような気がしないでもないですが、
まぁいいんですよ~(笑)
織田信長は既に知っていることが多かったのでともかく、
上杉鷹山については思い出したことや新たな気付きがたくさんありました。
1度は失敗しているんですね。
もっともっと彼の生き様やその手法が知りたくなりました。
米沢にもまた行ってみたいなぁ。
スケジューリング
2007年12月08日
1日、1週間、1ヶ月、1年、10年、そして一生…
自らの夢や目標を実現させるために、「時間の知的創造」ともいえるスケジューリングを行うのは、当たり前のことである。
今までもそう教わってきたし、私自身も本当にそうだと実感している。
しかし9月に入り、職場の環境が変わったことで、
自分が構築していた効果的なスケジューリングが行えなくなってしまった。
それまで仕事を通して使っていたスケジューリングソフトと同じもの、または超えるものが、見つからないのだ。
特に困ったのは、そのソフトを使いネットで行っていた「1週間」のタイムマネジメントである。
「1日」のマネジメントは、紙ベースでも行える。
しかし「1週間」となると、なかなかうまくいかない。
なぜなら常に行わねばならないリスケ(リスケジューリング)への対応がしにくいためである。
この「1週間」のスケジューリングが欠如していたために、
私は見えているようで実は先が見えていないまま、転職後の3ヶ月を歩んできてしまった…。
(スケジューリングなんてしなくても人は生きていける。だからこそ、その重要性になかなか気付かないのだ)
今の状況に遂に危機感を覚え、新たに使い始めたマイクロソフト・アウトルック!! (→今さら~!?)
自分なりにアレンジして、こんな感じ。
~なかなかいいでしょ?~
いよいよ、私が動き始めましたよ!!!!!
当時のままに
2007年12月07日
昨晩、すごく軽いきっかけで大江千里のことを思い出したけれど、
その後、私を待っていたのは重い夜だった。
眠れないのだ…
そう、今の受験生と同じ歳の頃(実際には高校を卒業した後ではあるが)、
私はカセットテープで大江千里をよく聴いた。
今までしばらくの間埋もれていたその頃のことが、急に頭に浮かんだのだ。
おそらく誰もが「思い出の曲」というものを持っているのだと思う。
そしてその曲を聴くと、
当時の風景や人物やセリフまでもが当時のままに浮かんでくることってないだろうか。
私は、きっともっと思い出したかったのだろう。
だから眠れずに、そしてどうしても大江千里を聴きたくなって、
それからSonicStageをインストールしmoraで曲を購入した(←ちなみに私はSONY好きです)
大江千里というと、その後の『格好悪いふられ方』や『あいたい』が知られているが、
私が好きなのは『GLORY DAYS』という曲である。
「きみと出逢えてよかった。愛だけが いま力になる~♪」
今も変わらず、甘い歌声、甘い詩。
でも今と同じく東京で一人で暮らしていた頃、私は確かにこの声に励まされた。
それにしても、
夜4時過ぎに、部屋を真っ暗にして音楽を聴いて当時を思い出している俺は暗いかもしれない。
ふとそう思って、
コンビニで買ったサントリーを少し飲んで寝た。
達筆な貼り紙
2007年12月06日
マンションに帰ると、エレベーターの扉に貼り紙があった。
結構な達筆だと思った。
でも…
「粗大ゴミの達格は… 達格?????」
何て読むのか分からなかった。
少し考えて、これはきっと「連絡」の意味で使われているのだろうと想像した。
いくら達筆でも、漢字を間違えたら台無しである。
そして管理人さん(かな?)はかつて間違えて覚えたまま、それに気付かずに今まで生きてきたのかもしれないと考えた。
悲しいことでもある。
昨日の私が書いた文章の中の、知ったかぶり「PPM(=プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)」について 、
早速辛辣なコメントが入っていた。
>
■違ってますよ~(汗)
誤 : ポートフェリオ
正 : ポートフォリオ
頼みますよ(笑)
>
ほかでもないYUKIさんに指摘されたことに驚いたが(笑)、
このように自分の間違いを指摘してくれる人の存在は、本当にありがたいものである。
相手をことを想うからこそきちんとその誤りを指摘出来る人に、私もなりたい。
【おまけ】
そういえば高校生の頃「おおえちさと」と言ってしまったことを思い出しました。
いつでも知ったかぶりな人です。
ドボン
2007年12月05日
小林製薬のブルーレット「ドボン」と言えば、
真っ先に思い浮かぶのは、以前に勉強したことのある「PPM(プロダクト・ポートフェリオ・マネジメント」である…。
さて、今日仕事にいくため、スーツを着てコートも羽織って玄関を出る直前に、
新しく買ってあったこのブルーレット「ドボン」をトイレの貯水槽に入れたくなった。
今まで入れていたものが切れており、流れてくる水も既に無色透明になっていたからである。
こんなとき一番避けたいのは、この「ドボン」が給水口に詰まることである。
そこで説明書きどおり、これを貯水槽に入れたあときちんと3分程度置き、
おそるおそる「小」にレバーを動かし、少し水を流した。
水が止まらない…(涙)
ここで私は、究極の選択を迫られた。
繰り返すが私は既にコートまで着ているのである。そしてもう時間もない。
手を突っ込んで「ぬるり」感を感じてでも直してから行くか、それとも多少流れたままにしておいて帰って来てから直すか。
どうしよう???
そして、流れる水の音にもったいなさを感じ、
私はコートを脱ぎ、上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げ、ビニール手袋をはめ、
一気に貯水槽に手を突っ込んだったのだった。
手術完了―。
所要時間、わずか1分。
何てことはない。やってみると思いのほか、早かった。
なんか迷っていた時間の方が、長かったような気もする。
「案ずるより、産むが安し」
「迷ったらとにかく手を突っ込め」
これが今日の私の「ドボン」である。
「納期」を決める
2007年12月04日
仕事を終え、最終1本前の銀座線に乗り、
今日は最寄駅の田原町で下りずに終点の浅草まで行った。
そしていつもの隅田川を、少しのあいだ眺めた。
(そういえば、蒲郡教室での授業の後も、夜の竹島へよく行った。
あの頃は海を見ながら「来年東京へ行ったら…」ということを考えていた。
いま東京で考えるのは、そんな地元の思い出である。)
そして、
今までにも、私は自分が行っている仕事に対して「納期」というものを考えてきた。
「いつまでに、自分の目標を達成するか」
今の仕事については、どうだろう???
不思議だ。
納期を決めると、頑張らなきゃと思えてくる。
思ったより時間はない。
あと2年、
あと2年で私は自分の日本史のプログラムを完成させる。
~言葉は違えど、同じことなのだと思います~
経営しなくてはならぬ
2007年12月03日
経営者は経営しなくてはならぬ!
経営者は経営しなくてはならぬ!
経営者は経営しなくてはならぬ!
何べん言ったら本当にわかってもらえるのだろう?
ユニクロを展開するファーストリテイリング社の社長 柳井正さんが「最高の教科書」とする、『プロフェッショナルマネジャー』より、
かつて読んだこの一節が、急に頭に浮かんだ。
本の中では、「経営(する)とはなにかを成し遂げること」であり、
「マネジャーである個人なりマネジャーのチームなりが努力するに値することとしてやり始めたことをなし遂げることだ」としている。
笑われるのを承知で今日は書くが、
私は自らの日々の生活において、きちんと経営できていないことがままある。
問題は私の中にある。
疲弊をしてしまったり、だらだらしてしまい行動に移せなかったり、自らのコントロールを失ってしまったり。
今までならまだ良かった。
自分の行動の責任を負うのは、基本自分だけだった。
でも、これからはそうではない。
今のままではいけない。
私自身の生活を、経営しなくてはいけない。
生活を、私を、変えなければいけない。
部屋の片づけをしながら、私はそう決めた。
今さらながら、そう決めた。
しゃべれどもしゃべれども
2007年12月02日
落語を見たくなった。
そこで、聖地とも言える浅草にいながら一度も足を運んだことがない、浅草演芸ホールに入った(→徒歩5分です)。
思えば落語を生で見たというと、学生の頃の学祭での落語研究会の発表までさかのぼる。
でもそれだけなので、今まで全く興味がなかったと言っていいだろう。
それが今回行ってみようと思ったのは、
昨日見た『しゃべれどもしゃべれども』の、伊東四朗さんや国分太一さんの演技に魅かれたこと、浅草下町の風情が素敵だったこと、
そしてある意味同じ「喋り」を商売としている者として何かを得たかったことによる。
いろいろな方のいろいろな話やネタが面白かったが、
何より惹きつけられたのは、真打ちの三遊亭遊雀さんのものである。
「吉原へ初めて行く真面目な若旦那」の話であったが、
若旦那とその連れと旦那と女たちが、まるでそこにいて動き会話をしているかのように、演じられていた。
もちろん正座をしたままで、語りだけで、である。
ホールは皆、遊雀さんを中心にひとつになり、そして笑いに包まれた。
話の完全なる理解と、それに(おそらく多くの稽古によって)話し方、表情、ボディランゲージ、態度を十二分に加えることで、
我々は遊雀さんに安心して心を預けたのだと思う。
羽織をさらりと脱ぐ瞬間も、汗を拭う瞬間までも美しかった。
ここまでの授業を、残念ながら私はまだ出来ていない。
そして、私は今後どこまで自分の授業の品質を高めていくことが出来るか、
その高みのレベルを実際に自分の目で知ることが出来て、とても刺激になった。
またこの演芸ホールで多くの話を見て、いろいろな気付きを得ていきたい。
【おまけ】
落語家として生きている高校の剣道部の後輩がいる。ガンバレ、三遊亭きつつき!!
【おまけのおまけ】
その後、今日はこれまた初めて水上バスにも乗りました。
~夜の水上バスは結構Romanticでした~
明日はお休み
2007年12月01日
ここのところ毎日ブログを書いて、その日その日を振り返っているからなのか、
自分の気持ちの変化を敏感に捉えているような気がする。
明日はお休み。
消防のみんなが来てくれてからもう1週間が経つと思うとあっという間だが、
お休みを待ちわびていた自分がいたのもまた事実である。
うれしいね~。
今日は少し夜更かしをして、
かつて師匠が話していた映画を借りて、見てみようと思います。
【ヒロシ師匠です】
~今宵も「ぺろ~ん!」~