伊藤志げ美
2008年03月31日
隣で「伊藤志げ美」と書く姿を見て、
小さな違和感と、そして大きな責任を感じた。
俺は本当にしっかりしないといけない。
(今までもそうだったには違いないけれど、)
もうひとりだけの俺ではないんだ。
しっかりしなくちゃ。
結婚のご報告
2008年03月30日
突然のご報告で、
驚かせてしまう方も多いかもしれません。
申し訳ありません。
私たちこの度結婚をし、
夫婦として、同じ時を歩んでいくことにいたしました。
これからどんな困難があっても、二人で力を合わせ、それを乗り越えていきたいと思います。
いつも支えてくださっている皆様へ。
今後とも変わらぬご指導を、どうぞよろしくお願い致します。
2008年3月30日
伊藤晃詳・志げ美
36歳
2008年03月21日
いろいろなことが重なって、気付いたら誕生日を過ぎていた
たまにはそんな誕生日があってもいい。
でも本来なら、今までのことをきちんと振り返ったり、今後のことを考える誕生日のほうが、
ずっと良い。
もう少し後に、ちゃんと時間をとって、
結婚後ふたりでどのような人生を歩むのか、
しっかりと考えていきたい。
新幹線に乗り遅れるな
2008年03月16日
豊川に帰るために、ライブドア路線案内(←笑)で検索をした。
そして検索通り、
家を10:15に出て、10:28の浅草発つくばエクスプレスに乗り、
そして10:56東京発のこだまに乗る予定だった。
ところが、少しモタモタしてしまって家を出たのが10:30。
一瞬あきらめかけたが、あきらめられない事情もあり、
走り始めてからは早かった。
私は浅草駅から東京駅までの、おそらく最短であろう、
車両の出入口、改札口、エレベーター内の立位置、切符の買い方をおさえている。
それら使えるものをフルに使って、ダッシュで、なんとか10:56の東京発に乗ることが出来た!!!
浅草の家を出てわずか26分後に、新幹線に乗っている。
そんな自分自身を、この時ばかりはさすがだと思った。
しかし席に座って少し考えると、今回の出来事には私の大きな課題が表れている気がした。
一言でいうと、なぜ家を10:15に出れなかったか?ということである。
そもそもきちんと準備をして出るべき時間に家を出ていれば、最短距離もダッシュも必要なかったのだ。
新幹線に乗り遅れて、着きたい時間に豊川に着けなかったときのことを思い、改めてゾッとした。
これは人生にも言えることだと思う。
きちんと準備をして例えば学校、会社、事業といった新幹線に乗るべき時に乗らないと、
限られた命ある時間内にたどり着けないところがある。
「青い」といえば…
2008年03月15日
「青い」の後に言葉を続けるとするならば、
どんな言葉が思い浮かぶだろうか?
青い鳥、青い春、青い珊瑚礁…
さまざまなものがあると思う。
私は… 「青い山脈」!!
いったい何時の人だと言われてしまいそうだが、
戦後の青春映画と共に、藤山一郎さんの歌声が聞こえてくる。
この「青い山脈」の歌は、替え歌にしてお祭りでもよく歌った。
「乳もふくらみ、毛も生えて、お尻も大きくなりました~♪」
改めて文字にすると、昭和の名曲もあまりにも卑猥である。
でも今日ばかりは、「青いロマンスカー」!!!
今日より小田急の誇る特急ロマンスカーが地下鉄千代田線に乗り入れることになり、
そこに新たに投入されるのが、MSEこと「青いロマンスカー」なのである。
それを記念するイベントに、仕事前に少し顔を出した。
また北千住から青いロマンスカーに揺られて箱根に行き、温泉につかるのも悪くない。
たまらない感覚
2008年03月13日
今まで勉強したことや得たことが、何かの拍子に他の事柄と結びついて、
新たな気付きを得ることがある。
その瞬間のその感覚がたまらなく嬉しい。
大学に科目等履修生として通っていた頃、図書館で、
かつてNHKスペシャルで放映された『映像の世紀』を見たことがあった。
その第5集「世界は地獄を見た」を見たときの感覚を忘れない。
あの時、今まで自分が勉強してきた日本の歴史と世界の歴史が、頭の中で繋がった。
衝撃でひとり涙を流した。
今日はそこまでではないが…(苦笑)
仕事に向かう電車の中で気付きがあった。
出口汪さんの『カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法』という本を読んでいた。
出口さんは、 「ロジックとは同じことのくり返し」であるとし、
下のようなモデルを図示する。
■ ■
A 筆者の主張
↓
A´具体例・エピソード・引用
出口汪『カリスマ受験講師の論理的に考える、私の方法』三笠書房 より
■ ■
その時、論理的という視点て、
今高校生と共に読んでいる評論文の構造と、以前に行っていた研修トレーナー としてのフィードバックのあり方が、
共通であることに気付いたのだ!!
思わずノートにメモをしたのが、コレ。
それがたとえ自己満足であったとしても(笑)、
この感覚を得ることが出来るのが、勉強をすること・考え続けることの醍醐味であると思うし、
この感覚をこれからも味わい続けたいと思っている。
地元の誇り
2008年03月12日

「東大合格30傑異変」
タイトルにつられ、上野駅で夕刊フジ を買ってしまった。
いま仕事で目指しているものを考えれば、 当然気になるところである。
驚いたことがあった。
東大高校別合格者ベスト30という表を見ると、
開成・麻布・海城・渋谷教育学園・駒場東邦といった聞き慣れた学校の中に、
8位に岡崎、そして24位に時習館が堂々とランクインされていたからだ。
記事にも直接両校の名が取り上げられていた。
「10日に発表された東京大学の合格者ランキング(前期日程)に異変が起きている。
開成、麻布、聖光学園など中高一貫の首都圏の常連校に減少が目立つ一方、
岡崎、時習館(いずれも愛知)、鶴丸(鹿児島)など地方の公立校が台頭してきたのだ。(後略)」
以前から岡高の東大合格者が全国の公立高校トップであることは知ってはいた。
しかし合格者数まで具体的に捉えて考えたことは、私にはなかった。
時習館の躍進も踏まえ、両校のその凄さを実感した。
そしてとても嬉しく思った。
それは一言でいってしまうと、地元の誇りである。
確かに東京は凄い。
凄いけれども、地方でもそれは出来るんだよと。
彼らに、今まで私も少しは関わってきたし、
今でも地元の仲間がいろいろな立場で彼らの成長に関与し続けている。
もちろん東大合格者数はひとつの指標に過ぎないが、
それでも皆が意識するその指標において結果を出せているのは素晴らしいと思うし、
学力向上に関する方針やシステムが決して間違っていないことの証明ではあると思う。
そんなプライドを胸に、今日も頑張っていきたい。
Qちゃん
2008年03月09日
今日は少し疲れて、惰性のように帰ってきた。
歩きながら見た携帯で、本日オリンピック出場選考を兼ねた名古屋国際マラソンが行われ、
高橋尚子選手が27位に終わったことを知った。
高橋選手はレース後に昨年夏に右ひざ半月板の手術をしていたことを発表したらしい。
ミクシィの日記には「言い訳」という文字が躍っていた。
帰宅後、夕刊や動画で今日のレースやインタビューを見た。
私には、手術のことはただの事実であって、言い訳には思えなかったけどなぁ。
「どんな気持ちでQちゃんは走ったのだろう?」
高橋選手の心情を想像した。
おそらく高橋選手も、今回のレースの苦しさは感じていたはずだ。
それでも勝ちにいっていた。
勝ちを狙っている時に、相手に心理的有利になることを自ら言う人はいない。
そして勝つと思っていた。
それは彼女の今までの圧倒的な実績から来る自信であり、楽観性であるかもしれない。
彼女は「あきらめなければ夢は叶う」という言葉を、繰り返していた。
付け加えるならば、
それが彼女の生き方なのだと思うし、彼女はその言葉を自ら証明したかったのだと思う。
だから最後まであきらめずに走り続けたし、あきらめずにこれからも走り続けるのだ。
きっとその姿が、(ついあきらめてしまいがちな)我々の心を揺さぶるのだ。
今でも印象深いのが、2年前の東京国際マラソン。
あの日、目の前を颯爽と走りぬけていった、Qちゃんの姿―。
あぁ無情
2008年03月08日
西武池袋駅で、急行に乗る前に少し時間があったので、
電話をしていた。
気が付いたら、
目の前のドアが「プシューッ」と閉まり、
電車は携帯を握りしめた私をおいて行ってしまった。
銀座線の駅
2008年03月06日
異動に伴い、使っていた定期を更新することになった。
今までは渋谷~浅草間という銀座線の駅を全てをカヴァーしていたので、
少し残念な気がする。
研修チームの皆が、こんな話をしていたのを覚えている。
「チームのメンバーのイメージを、銀座線の駅の街にたとえるとどこか?」
意外と盛り上がった。
「○○さんは、青山一丁目といきたいけど一歩手前の赤坂見附。」
「△△さんは、ちょっとお洒落で先進的な溜池山王。」
「□□さんは、マンガ喫茶で泊まるから神田。」
「▲▲さんは…、上野御徒町。」(笑)
その時私は他のことに集中していたはずだが、気になってさりげなく聞いていた。
だから、少しうろ覚えである。
「伊藤さんは…」
少しドキドキした。
「やっぱり浅草!!」
浅草に住むようになって、もうすぐ3年が経とうとしている。
小さな贅沢
2008年03月05日
仕事帰りに立ち寄るコンビニで、
小腹がすいていたのでミニサイズのお弁当(鰺ごはん)と缶コーヒーを買った。
するといつものお兄さんが、
品物を入れた後に袋の口を結んで、持ちやすいようにしてくれた。

何か心地よくて、
まるで飲み屋に行った後のお父さんが焼き鳥とかを包みぶらぶらさせながら帰ってくるように、
家までの道を歩いた。
本当に小さなことではあるが、幸せな時間であった。
嬉しかった
2008年03月04日
かつての仲間のブログには、教え子が訪ねてきたことが多く書かれているが、
どこかで私には縁のないことだと思ってた。
なぜならあの時 、私は卒業した生徒にも残った生徒にも、
退職をすることも東京へ行くことも何も言わなかったからである。
あれから3年が経ち、私を覚えている子などいないはずである…
今日も昼前に、出社のため田原町駅までの道のりを小走りで歩いていると、
見知らぬ番号からの電話が鳴り、思わず出てしまった。
そして…、驚いた。
「あきよし先生、俺、高校卒業しましたよ。大学も決まりましたよ。」
時が止まった。
いつ以来だろう??
おそらく彼が高校に合格をした日以来だ。
中3生になってから、彼の成績を思うように伸ばしてあげることが出来ず、苦しんだ。
1番苦しんだのは、彼自身だったろう。
彼ともお母様とも、何度面談をし、志望校について話し合ったか分からない。
そんな彼が、無事に高校を卒業をし春から大学生だなんて!!!
彼の卒業と進学と、彼の成長と、わざわざ電話をくれたことと、
もうとにかくとにかく嬉しかった。
でもどうして電話番号を??
私がかつてテスト前の質問専用に限定で設けていた「あきよし電話」の番号(→肉くれ)を、覚えていたのだという。
最後に、ふたりで笑った。
ありがとう、大輔。
気持ち、新たに
2008年03月01日
3月1日は、私にとって特別な日である。
月が替わり、心なしか春の暖かな風を感じた。
そして今日より、大泉学園にある校舎へ正式に異動となった。
今までも時折り入ってはいたが、 これからは毎日ここに通うことになる。
新しく出来た校舎で、新しく出会ったメンバーと、
新たなルールを作るところから始めていく。
似たような感覚を、以前に持ったことがあるのを思い出した…。
(2002年:ブロック制導入。岡崎第1ブロックへ。)
不安がありながらも、あの頃に頑張れて多くの目標を達成できたように、
新しい環境で、新たな気持ちで、
これからも頑張っていきたい。