ホークスは「90」を永久欠番にすべきではない
2014年01月24日
『あぶさん』という野球マンガがあります。
言わずもがな、かもしれませんが、
かつての南海ホークスに入団し、ホークス一筋で活躍を続ける、
主人公・景浦安武選手のちに助監督(=あぶさん)を中心に描いた物語です。

そのあぶさんが、(マンガの中で)遂に退団するというニュースを聞きました。
そして、
併せて、こんなニュースを耳にしました。
「あぶさん連載終了でソフトB「90」永久欠番も」
元々「東スポ」の記事なので、どこまで本当なのか分かりませんが(笑)
個人的には、これ、反対です。
なぜなら、マンガは「虚構」です。「現実」ではありません。
その逆はありですが、
「虚構」の世界の選手が、「現実」の世界の永久欠番になってはいけません。
「現実」の世界において、多大な功績を残した選手の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるもの、
それが「永久欠番」の意義だと思います。
ただ。。
これは似て異なるのですが、
この「虚構」の景浦選手の番号を、
ホークスを応援するファンのみんなの番号にするというなら、
それは、ありだと思います。
スタンドのファンが多く「90」の番号を付けて応援している、
なかなかに素敵なことかもしれません。
【おまけ】
そんなことを考えながら、
久しぶりに『あぶさん』の1巻を読んでみました。
改めて、おもしろいですね!!!



歴史と、当時の風潮を感じます。
タグ :野球
「足利尊氏だと言われている人の像」の謎を追いました。少しだけ。
2014年01月17日
このブログは「タイガーマニア」ですが、
その中でも、今日の内容はちょっとマニアです(笑)
先日、別のブログで、次のことを書きました。
・「足利尊氏像」は、正確には「足利尊氏だと言われている人の像」である。
・尊氏だとされる根拠は、江戸時代に老中松平定信が編纂した『集古十種』という古宝物図録に、この肖像が尊氏として記載されているから。
・尊氏ではないとされる根拠には、画のなかの太刀と馬具に描かれた家紋が足利家の家紋でないこと、などが挙げられる。
(⇒詳しくは、こちら。)
そうなんです。
つまり、
江戸時代に編纂された『集古十種』に、
この肖像画は、「足利尊氏像」だと書かれているから、「足利尊氏」なんだ!!!
ということですよね。
そして、今日。
その『集古十種』の、肖像画部分のみを集めた本が届き、
興味深く、開きました。
おそらく、日本史が好きで得意だった方も、決してそうではなかった方も、
何となく、
記載されているこの肖像画が誰なのか、分かるのではないでしょうか。

~聖徳太子~

~源頼朝~

~豊臣秀吉~
画の右側を見てください。
こんな風に、
その肖像画が、誰で、どこに保管されているのかが、
書かれているのです。
そして。。
ありました。

ま、それだけと言えば、それだけなんですが(苦笑)
ちょっと辿り着いたような、満足感がありますね!!!!!
ただ、この本の解説を読んでいくと、
◆ ◆
同じく松平定信が指導し、谷文晁が絵巻物から抄出した部分図からなる『古画類聚』の凡例に、
「(中略)疑はしきあるも臆断をもてせず、皆識者の明断をまつ。」とあり、
『集古十種』の広瀬典の序文にも同じようなことが記されている。
(引用、ここまで)
◆ ◆
とありますから、
そもそも、
この『集古十種』においても、ある程度推測で記載している
ということになります。
と、いうことは、
「足利尊氏像」の「足利尊氏」である根拠も、また推測だ!!!!!
ということですよね。。。
それでは、なぜ、
この像が当時足利尊氏像だと言われていたのか、などなど、
興味は広がっていくのです。

タグ :社会
『殺人犯はそこにいる』
2014年01月11日
読みました。
これは知っています。
「足利事件」
「菅家さん」
先日(といっても、もう3年も前になるんですね。。)、
DNA型再鑑定が行われたことをきっかけに、再審無罪が確定し、
冤罪による17年半におよぶ服役の末、菅家さんが釈放された、
あの元になった事件です。
でも、その事件が、
実は連続して周辺に起こった5件の幼女誘拐殺人事件のひとつに過ぎず、
(菅家さんが逮捕されていたことで)逮捕されず時効を迎えた真犯人は、今も潜んでいること、
そして、菅家さんの誤認逮捕がなぜ起こり、そしてどのように無実が証明されたかなど、
新聞やテレビだけでは触れることのなかった、そのより深い深い部分について、
知ることが出来ました。
夢中になって読みました。
いろいろなことを、考えさせられます。
自らの過ちを認めることの難しさ。
真の目的を、つい誤りがちなこと。
警察とマスコミとの関係。
(それは、昨日の川崎での逃走においても感じます。果たしてあそこまで捜査員を動員し、また報道するべき事件だったのでしょうか?)
考えさせられるということは、
私にとって、良い本なのだと思います。
以下、
本書における具体例の一つではあるのですが、
筆者の記述に大変共感した部分があり、
その部分を引用し、紹介させていただきます。
◆ ◆
報道とは何なのか。
例えば、親が幼い子供を車に残して買い物などに行き、車内で子供が熱中症で亡くなる。
そんな悲しい事故が毎年繰り返される。定型文とも言えるニュースが流れる。
〈××署は保護責任者遺棄致死の疑いで、母親である○○を逮捕し、△日送検しました〉
そんな報道を目にして、あなたはどう思うだろう。「馬鹿な親だ」と思うだろうか。
あるいは、「私はそんな愚かなことをしない」と笑うだろうか。
しかし、このニュースの問題点はどこだろう。報じるべきなのは警察による広報文なのだろうか。
事件を担当する警察署の名称や罪状、送検予定なのだろうか。
あなたがスーパーに行くとする。後部座席ではいつの間にか子供がぐっすりと寝入っている。
起こすのもかわいそうだと思う。
エアコンはセットされている。すぐに戻るからねとそっと車を離れるが、あいにく店は混んでおり、買い物は思ったようなスピードで進まない。
目を覚ました子供は、あなたの姿を捜し、泣きながら車内を移動する。
外に出ようとあちこち触り、やがてエアコンのスイッチを切ったり、エンジンキーそのものを廻してしまう。
そして車内温度は春先でも五〇度を超える……。
報じるべきことは、こういった事実なのではないのか。
原因はなんだったのか。同様の事故を二度と起こさぬためにはどうすべきか。
それを報じるべきなのではないか。
(引用、ここまで。赤字部分は私が色づけしています)
◆ ◆
子どものためを思って、
その結果として、このような事故が起こってしまうんですね。。。
タグ :本
『桶川ストーカー殺人事件-遺言』
2014年01月10日
先日、寝付けなかったことがあり、
その時にいろいろ周りまわって、
この本に辿り着きました。
本のタイトルのとおりのこの事件は、
1999(平成11)年に起こっています。
既に私もいい大人だったころで、
確かに、名前は聞いたことがあるような気がするのですが、
それがこんな事件だったということは、
15年の時を経て、初めて知りました。
そして、
この世の中で、
こういうことが起こり得るんだということを知ったとき、
戦慄が走りました。。
「詩織は小松と警察に殺されたんです」
(本文より)
そして、
この事件をおいかけた著者の存在に、
驚き、
そして感謝をしました。
もしもこの方がいなければ、
この方でなければ、
もしかしたら、私たちは
未だに本当のことを、知らなかったのかもしれません。。。
そして、
もしかしたら、私たちが当たり前と思い込んでしまっている、
でも本来はあるべきことではない、あってはならない、
「社会のしくみ」というものが、
実はあるのではないかと、
そんなことを考えました。
『西郷の貌』以来、
一気に読み干しました。
【おまけ】
少し前のことかもしれませんが、
テレビ番組でもとり上げられたそうです。
この本がベースになっていると思われます。
お時間の許す方は、どうぞご覧になってください。
【動画】
【おまけのおまけ】
そして、今日、
新たな本が、私の手元に届きました。
タグ :本
『永遠の0(ゼロ)』
2014年01月02日
~クリック!~
書籍が出た頃から、「いい、いい」とは聞いていたけれど、
映画化されることを知っていたので、
本を読まずそれまで待って、
元旦の夜に、観てきました。
ひと言でいうと、
いい映画だったと思います。
何が良かったのかというのは、
いろいろありますし、
必ずしもそれを言葉にする必要はないのかもしれませんが、
ひとつ挙げるなら、
それは全体的に「自然な感じ」ということだったように、
私は考えています。
それは、
脚本、音楽、CG、演技、演出など、
勿論、そういうテク二カルな要素が大きいことは、間違いありません。
しかし、それだけではなく、
戦争や特攻に対する受けとめ方や、
戦争で亡くなられた方への捉え方など、
複雑で、
ともすれば相反する想いを内包するところまで、
丁寧に描かれており、
その作り手の考え方が、「自然」であるようにも感じるのです。
だからこそ、作品の中で、
登場人物らが発する言葉が、
時に大きく、胸に響くのでしょう。
もう一度、劇場で見てみたいですし、
きちんと原作も読んでみたい映画でもあります。
【タイガージャッジ】
★★★★★(5点満点中、満点!)
※あくまでも私の評価です。
タグ :映画
二度生きる
2014年01月01日
2014(平成26)年になりました。
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
例年どおり、
年が明けて初詣へ行き、
家に帰ってきた後で、
昨年のことを振り返り始めました(苦笑)
思えば、
『保険タイガー』に、「講師」に、「お祭り」に、「剣道」にと、
忙しく過ごした1年でした。
加えて年末には、
新たに「親」という役割を担うことになりました。
「生き方」的なことを言うと、
今までは、自分のことを中心に考えれば良かったのに、
子どもが産まれてからは、
なんだか子どものために、(子どもをきちんと成人させるために)生きていくような、
そんな感じを、抱くようになりました。
子どものためにだなんて、大げさなのかもしれませんが、
それを前向きに捉えることで、
自分を変えていきたいと考えている私自身が、どこかいるのだと思います。
そして、今年はどうするか。。
そのそれぞれの自分の役割を、深化させていきたいです。
限られている時間や資源を効果的に使い、
それぞれの役割における具体的な目標(ここでは書きませんが)を達成するためにも、
その過程にあるムリやムダを、意識的に省いていかなければなぁと、
考えているところです。
新たな1年を充実したものに出来るか。
それは自分次第ですね。
そこから、今年も楽しんでいきたいと思います。