違和感

2011年08月10日

  
  
  
  
強烈な違和感を覚えた。


テレビで流れていた、NHKのニュースを見た瞬間だ。







長崎平和記念式典の中で、長崎市長が「より安全なエネルギーを基盤とする社会への転換」を訴えたという



福島県の住民が、式典に招かれたという。


NHKテレビでは、福島県の中学生がコメントをしていた。

「長崎みたいに長い年月をかけてでもいいから、私も復興に向けて頑張れたらいいな」








「なぜなのか」と言いたい。

いったい誰が、このような設定をしたのだろう。




長崎の平和祈念式典の目的は、言わずもがな、

8月9日の、戦争による原爆犠牲者の鎮魂と平和アピールである




それと、なぜ天災と人災の絡み合った原子力発電の被害者が結びつくのか。

この場において、なぜ核エネルギーからの脱却という話になるのか。

「核エネルギー」=全て「悪」なのか。




ただ核エネルギーによって被害を受けたという点において彼らは一致しているだけで、
(もちろんその被害に関しては憂慮すべきだが)


一言でいうならば、


それは「平和記念式典」の目的に反している。




「核エネルギー」代替の話は、別の機会で行うべきだ。











私は、危険だと思う。



安易な論理のすり替えが、平然と行われることに。


すり替えられた論理が、テレビで垂れ流されることに。



そして、そのことに、私たちが気づかないことに。
   
  
  


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Posted by タイガーあきよし at 00:21 │ひとりごと
この記事へのコメント
僕も見てたよ。
確かに戦争と今回の問題はひとくくりはおかしいよね。
Posted by しゃべくり王子 at 2011年08月10日 01:05
 そうだろうか?
 数日前に広島・長崎の原爆を積んだ爆撃機の出動について、軍部は事前に察知していたとの番組がありました。
 原発安全神話というまさに神話を創った現在の官僚と空襲警報一つ出さなかった当時の軍部。この隠蔽体質は今も昔も変わらず、その犠牲になったのは多くの国民。
 私にはまったく原発も原爆も同じ構図に見え、違和感は感じません。
Posted by 上おおやま師匠OB at 2011年08月10日 07:10
物事には色々な側面があるが故に、色々な価値判断を生みますね。
私も、違和感を感じます。

でも、違和感を感じない人の方が多いから、現実にはこうなんですよね。

「間違ってる!」と言う程強い主張は私にはできませんが、感じること、考えること、アウトプットすること…大事にしたいと思いました。

タイガーさん、ありがとう。
Posted by スマイル at 2011年08月10日 11:57
私も違和感を感じました。

原爆は大量殺戮兵器。
原発は電気を作ることが目的。

確かに隠匿体質はあったかもしれないですが、原発事故を起こそうと思っていた人は居なかったはずです。

原爆投下は新兵器の実験的要素もあったと聞きます。
つまり、ワザと人を殺したとも言えるでしょう。
 
Posted by 伊東きちえもん at 2011年08月10日 21:27
きちえもんさん

 私は技術者ではありませんから、詳しくはありませんが、
 それでも、使用済みの核燃料の安全処理の技術は確立されておらず、こうした放射性廃棄物は容易に核兵器に転用することが容易であることぐらいの知識はあります。
 北朝鮮の原子炉を考えれば、「原発は電気を作ることが目的」などたわごとに過ぎません。
 そもそも原子力の平和利用など、現時点の技術から考えれば、寝言のようなもの。
 原発の安全神話は正に神話というのはこういうことです。
Posted by 上おおやま師匠OB at 2011年08月11日 07:58
たまに熱く語る・・
そんなタイガーマニアが好きです(笑)
戦争という観点でみれば違和感がありますが、今回の件はタイガーが書いているように「核エネルギー」によって被害を受けたという点が最も重要だと思います。
そもそも戦争と平和で考えたら、8月15日や沖縄もあります。
なぜ、広島・長崎なのかと言えば、やはり戦争を通じて核エネルギー(兵器)によって惨い被害を受けたからだと思います。
今回の原発事故は天災の面もありますが、逆に考えれば、平和利用だといっていた核エネルギーが最悪の場合は広島・長崎に匹敵する被害を与えるかもしれないことが分かったといえるでしょう。
日本は「世界で唯一核兵器による被害を受けた国」から
「二度も核エネルギーによる被害を被った国」として、核エネルギーの平和利用というものを世界に問いかけていかなければいけないのではないかと思います。そうした観点からみれば今回の設定は妥当だと思います。
核エネルギー=悪だとは思いませんが、まだ人類はそれを安全に扱えるほどの技術がなかったということではないでしょうか。
戦争に関してはまた次にお会いしたときに
Posted by piston.H at 2011年08月11日 19:06
 チェルノブイリに続き今回のフクシマで原爆をわざわざ作って落とさなくても、原発を狙って自爆テロでも起こせば、同じだってことが証明されたわけです。
 だから現時点の技術を考えれば、核エネルギーから脱却した方がいいのではないかというのが、被爆者から出る当然の意見ってことなんだよね。
Posted by 上おおやま師匠OB at 2011年08月12日 11:06
本件に関しては、皆さま個々人に対するコメントは控えさせていただきます。
ご了承ください。
皆さま自身がそれぞれ考えられたことを、ただ真摯にお書きいただければと、考えております。

私が違和感を覚えたのは、
・「長崎平和記念式典」で、長崎の原爆による被爆者ではない福島県民が招待されている点
・その場でエネルギー転換を訴えた点
にあります。

繰り返しますが、
「長崎平和祈念式典」の目的は、戦争による原爆犠牲者の鎮魂と平和アピールにあります。
平和アピールの中には、先の大戦で原爆を使用したアメリカに対する牽制も含まれるでしょう。
核兵器を所有する連合国側に対しての意味合いも、そこにはあると思います。

それが、反「核エネルギー」というだけでエネルギー転換や福島と結びつき、
この「長崎平和祈念式典」でそれを主張されたら、
戦争被爆者への鎮魂と、平和アピールという目的から外れてしまうように考えるのです。

反「核エネルギー」のアピールの向かう矛先は、どこでしょう??
東電でしょうか? はたまた既得権益の受益者でしょうか?
少なくともそれは、『長崎平和記念式典』の場において行うことではないと思います。


反「核エネルギー」の考えは、理解できなくはありません。

逆に言うならば、
反「核エネルギー」と反「原爆」を結びつけずに、
感情に配慮はしながらもそれに流されず、現実的に、
反「核エネルギー」をアピールしていく場を設けていければ良いと思うのです。
Posted by タイガーあきよし at 2011年08月17日 11:48