『編集王』
2012年04月30日
この歳になると、
(この書き出しは適切では無いかもしれないが、この言葉しか考えられない)
余程の愛着があり、時に繰り返していない限り、
今までに観た映画や読んだ小説、マンガのストーリーを、
きちんと覚えてるということが、なくなる気がする。
覚えているのは、
その時の「感情」だ。
「おもしろかった!」「泣けた!!」「つまらなかった。。」等々。
このゴールデンウィークの最中、
私の中でとても良い感情を抱いているマンガを、
珍しく大人買いした。
そして、半日という時間を使って、一気に読んだ。
そのマンガの名を、 『編集王』と言う。
やはり、おもしろかった。
とても、おもしろかった。
登場人物らの「情熱」とか「熱さ」とかいったものが、ひしひしと伝わってきた。
いろいろな印象的なシーンがあるのだが、
その中でも、私は、
14巻の、この詩の一部分を使った場面が好きだ。
「けれども
いまごろ ちゃうど
おまへの年ごろで
おまへの素質と
力をもってゐるものは
町と村との
一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとの
どの人も
またどのひとも
五年のあひだに
それを大抵無くすのだ
生活のために
けづられたり
自分でそれを
なくすのだ
すべての才や
力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへゞ
ひとにとまらぬ
おまへの
いまのちからが
にぶり
きれいな音の
正しい調子と
その明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへを
もう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰かけてるやうな
そんな多数をいちばん
いやにおもふのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりで
あの石原の草を刈る
そのさびしさで
おまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や
窮乏の
それらを噛んで
歌ふのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできた
パイプオルガンを弾くがいゝ」
(宮沢賢治『春と修羅 第二集』より)
先日逝去された、土田世紀さんのご冥福を、
謹んでお祈り申し上げます。
Posted by タイガーあきよし at 22:03
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