FFに想う
2012年09月14日
「FF」といえば、
ゲーム好きな方にとっては、「ファイナルファンタジー」かもしれないが(笑)、
国府高校に関係ある方にとっては、それは年に1度体育大会後に行われる生徒主催のイベントである。
かつての同級生に声をかけてもらって、
その「FF」を見に行った。
私自身は、卒業後に講師をしていた時があるので、およそ12年ぶりのFFとなる。
そもそもFFとは「ファイヤーフェスティバル」であり、
私たちの時がそうだったように、
「炎を囲み男女でフォークダンスを踊って、その後男子だけが裸で走り回って歌う」ことが
その本来の姿であったと認識している。
その後、「男子だけが裸で」という部分が、「男女共にジャージで」に変わり、
遂には、FFの炎が消え、
(そのことに対する疑問は、私の中には今でもあるのだが)
「フィナーレ オブ フェスティバル」と再定義され、
「ライヴをやったり、ゲームをしたり、花火が打ち上げられたりして盛り上がる」というのが、
現在のFFだ。
「盛り上がる」という観点から言うと、
炎が無い今の形の方が、難しいのだと思う。
だから、やっていくことも、年々趣向を凝らして変わっていっていると聞く。
でも、結局は、
盛り上げようとする彼らがいて、
盛り上がろうとする彼らがいて、
そういう一生懸命さが、青春であり、FFなのだと思うのだ。
ふと、彼ら高校生の中に、
当時の自分を探している自分に気づく。
同級生にも聞いてみた。
「そういうことって、ない?」
「あるよー!!」 との答え。
あの当時の自分が、歳を重ねて今ここにいる。
今盛り上がっている彼らも、いつか歳を重ねて、
さらに次の世代に、自らを重ねるのだろう。
時は移ろいでいく。
花火の中から、浮かび上がった、
「夢」
の一字。
それは、
彼らにとっては「Dreams come true」のこれから実現させるべき「夢」であり、
私たちにとっては「儚きこと夢の如し」の「夢」である。
Posted by タイガーあきよし at 22:03
│ひとりごと
この記事へのコメント
第一回の「フィナーレ オブ フェスティバル」を開催する立場でしたので、
炎が無くなることによる、FFの意義は私も疑問を持っています。
ですが、それでも今もFFが続いていること自体、とても嬉しく思いました。
タイガーありがとう。
炎が無くなることによる、FFの意義は私も疑問を持っています。
ですが、それでも今もFFが続いていること自体、とても嬉しく思いました。
タイガーありがとう。
Posted by ななせ at 2012年09月15日 00:15
息子が今、国府高校の2年在学中です。
FFって何やるんだろう?と思っていたので
写真の掲載、わかりやすかったです!
FFの日は、帰りが遅くなるので
それに参加しても良いか?の
保護者印が必要な、承諾書を提出します。
今は、そこまで必要なんですね。
我が子は、体育会系ではないので
あまり、盛り上がらず・・・途中でぬけてゲーセンに行った!と・・・。
ないかと難しい年頃です。
FFって何やるんだろう?と思っていたので
写真の掲載、わかりやすかったです!
FFの日は、帰りが遅くなるので
それに参加しても良いか?の
保護者印が必要な、承諾書を提出します。
今は、そこまで必要なんですね。
我が子は、体育会系ではないので
あまり、盛り上がらず・・・途中でぬけてゲーセンに行った!と・・・。
ないかと難しい年頃です。
Posted by home-k at 2012年09月17日 14:43