SPACE BATTLESHIP ヤマト
2010年12月02日

『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の公開となった、
昨日の夜に、早速観てきました(笑)
夜10時近くからの上映だったのにも関わらず、
20名程の方がいらっしゃったのには、驚きました。
あまり具体的にならないよう、率直な感想を。
思ってたより、良かった。
ヤマトはかっこいい。
キャスティング、ストーリー、相手(ガミラスでありデスラーであり)の描き方は、いまひとつ。
大好きな『ALWAYS 三丁目の夕日』の監督をされた山崎貴さんの作品だけに、
確かにVFXは良かったけれど、という印象。
そして、これより考察。
以前に、
「小説の映画化は難しい。 それも小説が面白ければ、面白いほど。。」
と書いた。
同様に、
「アニメの実写版は難しい。それもアニメが面白ければ、面白いほど。。」
と言うことが出来ると、考えた。
結局、
アニメでは、ここはこうだったとか、
アニメの登場人物と、実写版での俳優のイメージが、合っているとかいないとか、
映画そのものを楽しむのではなく、
どこかそういうアニメとの確認作業に入ってしまうからだと思う。
もちろん、オリジナルを知らなければ、その作業に入ることはない。
今回の上映後、若いカップルの女の子が、「おもしろかったー!!」と言っていたのは新鮮だった。
おそらく彼女は、オリジナルの『ヤマト』を知らないだろう。
余談だが、『あしたのジョー』の実写版も、
同じ視点からなかなか難しいのではないだろうか。
そして、もうひとつ。
「『ヤマト』の再映画化は難しい」
ということである。
もちろん、昔からのコアなファンはいるので(笑)、
集客的には魅力があるだろう。
しかし、観た人の心を動かす新たな作品となると、どうか。
言うまでもなく、『宇宙戦艦ヤマト』は、
それなりの名作であり、
当時『ヤマト』に触れて育った我々それぞれに、
それぞれのヤマトへの想いがある。
つまり今回は、監督の山崎さんの想うヤマトである訳で、
私と同じであるはずがないのだ。
それ故に、皆の心を揺さぶることが、難しいのだ。
対案なき批判は、ただの文句である。
じゃあ、私が求めているものは何なのか。。
とてもシンプルだ。
私は、結局のところ、
昔の『ヤマト』を追い求めているだけなのだ。
基本的にはそのままで、
ただ映像技術は当時より進化しているはずなので、
そこをきれいにしてくれれば、それでいいのだ。
年が明けて、今より少し落ち着いたら、
昔のオリジナルの『ヤマト』を、もう一度見てみたいと、そう思ってる。
【タイガージャッジ】
★★★☆☆(5点満点中、3点)
※あくまでも私の評価です。

【おまけ】
【おまけのおまけ】
お時間のある方は、
あの興奮と絶望を、もう一度。
(おススメです!!!)
難点
2010年10月20日
先日、泰輔がオリジナルのiPhoneケースを私にくれた。
豊橋ワンダーテーブル(TWT)仕様である。
その場で、早速はめてみた。


ふむふむ、
これはこれで、なかなかクールである。
ただ、ひとつだけ難点があった。
固くて未だに外せないことである。。。
タグ :うっかりタイガー
霜降り肉
2010年06月03日

あるお店にて、昔ながらの包みものをいただいた。
包み紙の下が、赤っぽく見える。
早速開けてみた!!!



中には見事な、今治産の「霜降り肉タオル」が入っていた。。
見ていてお腹が空いてきた(笑)
結婚記念日
2010年04月01日
3月30日―
2度目となる結婚記念日は、
帰宅をした夜10時30分頃から、
ふたりでお祝いをした。
今年は泰輔が撮ってくれた、
結婚式・披露宴・2次会のDVDを見て、
あの時のことを、また思い出した。

「3年目もよろしくっ!!!」
そういって、今朝は妻を送りだした。
タグ :夫婦
舞台裏
2010年03月05日

下の記事の、「平和」食堂前で「ピース」する泰輔の写真。
このわざとらしい1枚の写真を撮るのにも、
ドラマがあったことは、意外と知られていない。。
(誰も知らない。)
まず最初に撮ったとき、
シャッターがおりたのは、

すでに泰輔が通過した後だった。
さすが、サイバーショット・ケータイ。
画質はきれいだが、シャッターを押してからのレスポンスは遅い。。
そこで、2回目。

今度は早過ぎた。。。
2度もピースをしながら無駄に通り過ぎ、
若干、「たいがいにしろよ」みたいな雰囲気が漂いはじめた、
3回目!!!

「3度目の正直」という言葉は、このためにあるのだと思った。
見事なまでの、わざとらしいさりげなさ。
ホッとした。
平和なランチ
2010年03月05日
思い出したように行った、久々の、
このランチのテーマは、豊橋駅前のお店の再発見でもあるのだが、
今回は「原点回帰」の意味合いも込めて、
予備校生の頃に通ったような、昔からやっている安くてボリューミーな定食屋さんへ。

~平和食堂です~
そこで私は、ランチのカツ定食(500円)を、

泰輔はチキンライス(450円)を、いただきました。

(結局チキンライスだけでは物足らず、焼きそばとみそ汁も追加していました。笑)
昭和50年代頃から時が止まっているような造りの店内。
ここは当時の雰囲気を模したものではありません。
本物です。
そして、懐かしい味です。
相変わらずくだらないネタで盛り上がりながら、
そんなことを、ふたりで話しました。
それにしても、この写真―。
(泰輔の右手に注目!!!)

いくら「平和」食堂だからといって、「ピース」とは。。
今日もあまりにもわざとらし過ぎます(笑)
つづく。
【おまけ】
波動砲
2010年01月15日
※お願い
お食事中の方は、
今日の内容は、食事を終えてから読むことをおススメいたします。すみません。
友人の泰輔のブログを読んで、
「体調不良」の彼には申し訳ないが、笑ってしまった。
《以下、そのまま抜粋です》
ごきげんいかがどす? ジャックです。
も~ご機嫌最悪ですわ・・・
なぜか急に男3人でアバターを見に行くことになって
行く前から体調悪かったんだけど、そのまま行くには行ったら
始まって20分ぐらいのところで、あーもー気持ち悪いーという状況になり
3Dなんかとても見てられない状況になって、30分ぐらいで映画館から出てきちゃってさ・・・
そしてそのあと映画館のトイレで自分のアバターを吐き出しました(エクトプラズム?)
久々の波動砲発射だったので、苦しかったねー
でも、それでもまだ気持ち悪かったので、そのまま自宅へ急行
自宅へ着くまでも波動エネルギーが充填してくるのが分かったので、
古代!まだ打つなー 敵をもっと引きつけてからだ!!
という沖田艦長の言葉を思い出し、ガマンにガマンを重ねて家のトイレに向かって
本日2発目、波動砲 発射!!
ついにこれで白色彗星を葬り去ったと思い、やれやれとちょっとベッドで横になりました。
しかし!まだ戦いは終わっていなかった!不覚!
白色彗星の中から巨大戦艦がー
そうこうしてる内に腹の底から波動エネルギーが再び充填されてきてるのがわかりました。
打てるのか 3発目
そして僕は愛する地球を守るため、本日3発目 波動砲 発射!!!
あ~あ、なんでこうなるのかね・・・
あれやこれやの無理がたたり、そこへ食べ物であたり、そこへ風邪も加わった感じですな・・・
ちょっと挫けそうだね・・・
《抜粋ここまで》
我ら、『宇宙戦艦ヤマト』世代-。
波動砲から、あの白色彗星から巨大戦艦が出てきたときの絶望感まで、
全てがリアルに想像できました(笑)
(動画1)
(動画2)
~お時間がある方はこちらもぜひ。あの興奮と絶望がよみがえります~
そういえば、今『ヤマト』って劇場でもやってるんだよね。
ユナイテッドシネマ豊橋、イオンシネマ岡崎ともに、
上映は1/22(金)までとのこと。
やっぱり、観たくなりました☆
ということで、泰輔、一緒に観に行くか~??(笑)
花園ランチミーティング
2009年10月20日
同級生の泰輔とは今までにもいろんな所で会ってます。
かえって地元で会うというのが、久しぶりで新鮮であるのです。
そこで今日は初めて「ランチミーティング」と称して、お昼に待ち合わせをし、
仕事の話やお互いの近況、くだらない話を織り交ぜながら、
豊橋での食事を楽しみました。

~久しぶりの花園タウン~

~ここには何とも言えない雰囲気があります~

~昔、少し特殊な学生服を買った覚えのあるようなお店も~
ランチはどすごいMAPでも載っていた『茶‐民カフェ』さんにて。


今日もやっぱり、わざとらしい人です(笑)
ということで、【今日のファイトさん!】は、もちろん泰輔さん!!!

あの~、ちょっと力み過ぎなんでスけど…
普段面と向かっては言わないんだけれど、
お互いにこれからも刺激し合って、頑張っていこうね。
それでは次回の「ランチミーティング」を、また来月!!!(笑)

赤から
2009年05月04日
何年前からだろうか、
中2の時に同じクラスだった3人が、このゴールデンウィークに会って飲むようになった。
まだ「おばんざい」というお店があった頃である。
その後、「すずめ」に店を変え行い続けていたが、
今年は変化を求めて、人気の?「赤から」に集まった。
いつも何かサプライズが飛び出す、この集い。
今回は出そうで出なかったが…、
ただ次の順番が泰輔であることは間違いない!!(笑)
3人だけの集まりも、家族が増え、今年は6人となった。
変わらないまま、それでも少しずつ変化をしながら、
これからもずっと集まり続けたい。
~「はい、赤から☆」~
~???~
それにしても「赤から」はお値打ちで、今夜はお腹いっぱいになりました~。
再見、東京!
2009年03月31日

引っ越しも、電気・水道等の手続きも全て終えて、
何も無い部屋に立った。
ベットと机の跡だけが、残っている。
次に部屋を出た時に、ここで過ごした4年間が終わる。
そう思うと、今までのことが次から次へと浮かんできた。
この部屋で倒れ入院をしたこと。
泰輔が寄ってくれたこと。
いろいろなことを、ここで考えたこと。
そして、仕事では、
日比谷公会堂で司会をしたこと。
多くの方と関わり合えたこと。
研修の練習を必死にやったこと。
デモ授業を行うために、浅草の街を歩いたこと。
隅田川へ何度も何度も来たこと。
…etc.
若干、前半の出来事を思い出すことが多いのは、
既に時を経て懐かしい想いがあるのと、それだけ毎日が必死で仕事に夢中だったからだろう。
横浜へ行ったときに思い出したように、
私が東京へ出てきた目的は、二つあった。
結論から言うと、一つは達成し、もう一つは達成出来なかった。
でも、私は気づいてた。
その目的の後ろに、本当の目的があったことを。
私はかつて高校を卒業し東京の大学に進学するも、半年で帰ってきてしまった。
その時の敗北感を、乗り越えたかったのだ。
他人には見えなくても、本人にとっては引っかかったままになっていることってある。
喉にはさがった魚の骨のように。
それが代替することの出来ない問題であるならば、やはり遡って取り除いてやる必要があるのだと思う。
私自身にとっては、それが出来たことが最も大きかったことであり、
また私が学んだ最も大切なことは、その手法ではなかったか。
そして、私は豊川に帰っても絶対に忘れない―。
妥協をせずに、常にチャレンジをし続けることを。
自分の出来ることを増やし、また深め続けることを。
より多くの人に貢献することを。
こう考えて、私は部屋のドアを閉じた。