会津の精神

2006年08月18日

  
ならぬことはならぬ.jpg
  
会津藩といえば、戊辰戦争において一気に東下したいわゆる官軍と戦い、無残にも敗北していった藩である。
会津鶴ヶ城は落城し、白虎隊の悲劇もこの時に生まれている。
多くの藩が強きに流れるなかで猛然と官軍に立ち向かっていった、会津のその精神を知りたかった。

それは、今でもいたるところに見ることができるように思った。
『ならぬことは、ならぬものです』
駅前のロータリーにも、町の道路の看板にも、城内の武道場にも見えるこの言葉。
古くは藩校日新館での子ども向けの「什(じゅう)の教え」、今の「あいづっこ宣言」の最後に、皆で唱和する言葉だという。
力強い言葉。そしてこうして残っていることに、素晴らしさを感じた。

(帰りに乗ったタクシーの運転手さんは、「今の若い子はそんなことないですよ。年寄りは頑固だけど」と言って笑っていた。
しかし磐越西線のなかで、携帯でヘッドホンを付けずに音楽を聴いていた女の子を、男性が一喝したのを確かに見た。)

教育は人を変える。教育は国を造る。今の日本はどうか??

そして私自身、日本についてまだまだ何も知らないことに改めて気付かされた。
 
あいづっこ宣言2.jpg
  
あいづっこ宣言.jpg
  
  

Posted by タイガーあきよし at 23:59日記

ぶらり会津【後編】

2006年08月18日

  
朝の郡山駅.jpg
【朝の郡山駅】
2日目の朝。いよいよ郡山から、会津へ向かう。
  
会津へ向かう.jpg
【会津へ向かう】
磐越西線でおよそ1時間。
途中、猪苗代湖を左手に望み、緑の中をゆっくりと進む。
  
  

会津若松駅前.jpg

【会津若松駅より】
会津若松に到着!!! 
郡山と比べても、駅前は驚くほど静かで、何もない。

るるぶを買い、ここから歩いて鶴ヶ城へ。
  
  
会津新撰組.jpg
【会津新撰組】
道中にて。
会津といえば…、新撰組!??
そう、新撰組は当時京都守護にあたった会津藩の下に置かれていた。
  
会津葵.jpg
【会津葵】
「三ッ葉葵!!」 
岡崎市民も喜びそうだが、実は「会津葵」と呼ばれ、徳川将軍家の紋とは葉の芯の数が異なる。
ここは、徳川御家門・会津松平家の本拠地なのだ。
  
  
野口英世青春通り.jpg
【野口英世青春通り】
会津といえば、この人も!!
野口英世が15~19歳までを過ごした街。
そして彼はこの通りで、とある女学生に一目惚れをしたという。
  
タイガーパーキング.jpg
【タイガーパーキング】
さらにこの地に親近感を感じた瞬間(笑)
  
会津鶴ヶ城.jpg
【会津鶴ヶ城】
鶴ヶ城へ到着。まさに威風堂々。
蒲生氏郷が築城した当時は、7層であった。

ここの城内の博物館が面白い。
急に停電になってしまい、当初館内に入れなかったのも、また思い出。
      
  
  

飯盛山へ.jpg
【飯盛山へ】
その後、飯盛山へ向けて歩き出す。
とても暑い1日であったが、歩かなければならないような気がして、歩ききった。
鶴ヶ城から1時間半ほどかかっただろうか。


鶴ヶ城を望む.jpg
【鶴ヶ城を望む】
そして飯盛山より、鶴ヶ城を望む。
見えないことはないが、確かに決して大きくは見えない。
  
鶴ヶ城を望む2.jpg
  
  
自刃の地.jpg
【自刃の地】
ここは、白虎隊自刃の地―。
彼らはこの飯盛山で鶴ヶ城を見、その後自ら命を絶った。

残念ながら、私は今なお彼らの気持ちを分かることが出来ない。
  
  
  
会津若松駅.jpg

【会津若松駅】
多くのことを感じ、考え、会津若松を後にした。
  
狩人.jpg
【狩人】
会津若松駅にて、狩人が私を見送ってくれた(笑)
  

  

Posted by タイガーあきよし at 23:58日記