清正
2009年10月14日
その時に気づいたことがあった。



なるほど、この「中村」という地は、豊臣秀吉の出身地としても知られる。
同じ中村区のJR名古屋駅にも「太閤通口」という出入口がある。

~この辺りは、「豊臣学区」です~
なのでその子飼いの家来である加藤清正の名が多く使われているだろうことは、
容易に想像できた。


それにしても、多過ぎでは???
そう思い、帰ってきた後で、加藤清正の生誕地をグーグルマップで検索して、
驚いた。
「中村スポーツセンター」の隣だったのね~。
まさに、「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(『徒然草』) である。
思い出焼肉
2009年10月14日
男性では珍しいのかもしれないが、
私には誕生日をお互いに祝い合う友人が、ふたり存在する。
(別にキモクはないですよ~。笑)
最初に向かったのは、小坂井・「仁雅」。
まだ高校を卒業したばかりの頃にもふたりで来たことがある、昔から有名なお店だ。
時が流れ、まだお店がやっているかどうかも分からず、不安になりながら夜道を向かう。
「あった~!!」
確かにお店はあった。
でも今日は…

~火曜日は定休日です~
そういえば、今はほとんどバラバラになってしまった高校の剣道部の同窓会も、
ここ「仁雅」でやったことを思い出した。
私たちが19歳の頃である。あまりにも懐かしすぎて、胸がキュンとなった。
既に舌が焼肉モードになっていたこともあり、
次に向かったのも焼肉屋!! 国府の「がんこ炎」。

そういえば、かつて国府高校の講師をしていたその翌年、
体育大会の打ち上げをここ「がんこ炎」でやった当時の高3生が、私を呼んでくれたことを思い出した。
彼らももう26歳である。懐かしい、まだお互いが若かった頃である。
どうやら「焼肉」は、その肉とともに、思い出も一緒に焼いてくれてたらしい。
どんな状況でその焼肉を食べたのか、とても印象強く残っている。
その後、修ちゃんとは、
お互いの今の仕事の話や、奥さん・子どもらの家庭の話、新しい家の話で盛り上がりました。
高校生の頃は、アニメやゲーム(「燃えろ!!プロ野球」等)の話に熱かったのにね。
俺らも大人になったものである。
ということで、【今日のファイトさん!】は…、
改めて、山村修ちゃんです(笑)

キマっているような、どこかキマっていないような…。
でもそれが変わらないところですね。
修ちゃん、それではまた来年、
今度は火曜日以外で「仁雅」に行こうね~。