年賀状を書いています
2011年01月01日
「年賀状は、贈り物だと思う。」

この日本郵政のコピーは、秀逸である。
そもそも、
別に「年賀状」である必要はないのだ。
直接会って新年の挨拶を交わすのが、本来の意味だと思うし、
今の時代であれば、メールでの挨拶でも、
歴史的背景から考えると年賀状と同義である。
にも関わらず、なぜ年賀状なのかというと、
それは「贈り物」だから、
という訳なのである。
分かる人には分かっていただけると思うが、
私は年賀状の、
デザインやら文面やらに、(相手の方が感じる以上に)妙にこだわる人である(苦笑)
私にとって、これは仕事ではない。
たかが年賀状、されど年賀状。
私の、精一杯の気持ちを込めた、「贈り物」なのである。

なんてことを、考えながら、
私は今、年賀状を書いています。
今年は遅くなってしまって、ごめんなさい。。

~大好きなダイドーの、デミタスを飲みながら~
初詣にて
2011年01月01日
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
◆ ◆
しばらく前から、
初詣は、
年を越したばかりの、
牛久保八幡社と決めている。
「ゆく年くる年」を見ながら、新年を迎え、家族で挨拶を交わし、
その後、歩いて八幡社に向かう。
今は妻も一緒である。

この時間が、好きだ。
新たな年を迎えられた清々しさとともに、
牛久保とその周辺の、
お世話になっている方々、先輩方、同級生、友人、そして後輩のみんなに、
会えるのが嬉しい。
毎年、会える方もいる。
初めて、お会いできた方もいる。
仕事やご家庭の都合で見合わせたのか、
今年は会えなかった方もいる。
どちらにしろ、
その瞬間、その方の存在を想い、
お互いの無事を確認できるような気がするのである。
とはいえ、
「新年」ということで気負い過ぎているのか、
あるいはお神酒が回ってしまっているのか、
ここでの私のトークは、どうもいま一つなのであるが。。
皆さまにとって、幸多き年になりますように。