お祭りを終えて
2011年04月12日
金曜の夜、仕事にキリをつけて豊川へ向かうとき、
「さあ、いよいよお祭りだ!!」
と、胸が高鳴った。
月曜の朝、お祭りを終えて会社へ行く。
腕・脚から、頭・胃まで(笑)
身体のあちこちが痛い。
いつもと変わらぬ景色。
それでも、何とも清々しい自分がいる。
「男弁当」に当たりはずれがあるように、
長いことやっていれば、
自分の中で、充実した年もどこか悔いの残る年もある。
その視点で考えるならば、
今年は充実したお祭りだったと思う。
それは、主に以下の3点による。
・お祭りポスター作成に関わったこと

実は、昨年は、「うなごうじ祭」のポスターがなかった。
そこで有志でポスターを作ろうということになり、
結局、何とか間に合わせることが出来たのは、
大山の皆さんはご存知のとおり(苦笑)
私自身は、青年の頃から、
このポスターのデザインに関しては思うところがあったので、
今回作成に関わることが出来たのは、嬉しかった。
そして何より、
町内の皆さんがポスターを掲示してくださることで、
「お祭り」と「牛久保」を、少しであったとしても盛り上げる力になれたことが、
とても嬉しかった。
・飲んだこと(笑)
お酒を「飲む」ということは、時に大切なことである。
しかも、牛久保のお祭りの由来を考えるならば、
暴論ながら、
誰かが酔っ払わなければ、いけないのではないかとさえ思う(笑)
今年は私の番だったという、ただそれだけの話である。
土曜日のお昼の宴会で、飲み過ぎ、
夜の大山に乗ることが出来ず、
大山の幕の内の、中二階部分でダウンしながら宵祭りを終え、
その後で復活し、同級生「さわやかイレブン」の宴会に出たのもつかの間、
波動法発射で震えがきて、自宅に搬送。。
(動画)
~オロオロオロオロ~
・足持ちのメインをやったこと
「かくれ太鼓」と呼ばれる大山の上での稚児の舞。
その稚児を人形のように操る大人を「稚児出し」といい、
それは花形のひとつであるのだが、