新・豊川市誕生に思う
2010年02月02日

ご存知の通り、
昨日2月1日をもって、宝飯郡小坂井町と豊川市が合併をし、
市域を広くした新しい豊川市が誕生した。

いわゆる「平成の大合併」により、市域が拡大していく周りの自治体の状況(新城市・豊田市・浜松市など)や、
そのスケールメリットを活かしていくという点において、
そして今までも消防や水道等多くは共通のシステムで行っていただろうから、
今後に向けてということを考えると、合併は良いことだと私は思っている。
もともと豊川市というのは、
豊川海軍工廠建設後の1939(昭和14)年に、宝飯郡の中の豊川町・牛久保町・国府町・八幡村が合併して成立した訳で、
そのかつての宝飯郡の一部が、再び一緒になり豊川市になったのだと考えれば、
考え方としてはスムーズなのかもしれない。
でも、それは私が豊川市民であるから言えることなのであって、
おそらく町名はなくなっても、
お祭りや消防団等を通して、小坂井の心意気というのは引き継がれていくのだと思う。
今後難しいのは、「小坂井人」としての、そして新たに「豊川市民」としての、
そのバランスのとり方ではないだろうか。
ただ(私は昨年度まで4年近く豊川を離れていたこともあり)ちょっと分からないのが、以前に、
そもそも「宝飯四町(一宮町・御津町・音羽町・小坂井町)」合同で、豊川市になるという話があった。
そしてそれは、四町それぞれで実施された住民投票において、町によっては反対が上回り、
断念となったはずだった。
それがなぜ、結果として、こういう形になったのか???
その過程が分かる方がいれば、コメント欄で、もしくはツイッターで教えてほしいと思うのである。
よろしくお願いします。
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